CoCの死って本当に理不尽なの?
CoCのルールブックにおいて探索者の死はどのようにデザインされているのか?に始まり、最終的にはシナリオを書いたりKPをするにあたって納得できないロストを生まないようにするにはどうするべきかについて一定の結論を出そうとしてる記事です。
PCのロストについて興味のある方はよろしくどうぞ。
CoCにまつわる会話を聞いていて不思議に思うことがあります。
「CoCは理不尽に死ぬもの。みんなCoCやるならそれは受け入れてるでしょ」
確かにシステム的にはあっさり死にますね。探索者は非常に脆弱です。
ただ聞きたいんですけど、探索者が死んだことのある人、ほんとに死んで楽しかった?その死に納得してこれもまたCoCの楽しみのうちのひとつだなって心の底から思えた?
私はそう思えた死も思えなかった死もあります。途中の中途半端なところでコロッと死んだけどあ~~~楽しかった!やりきった!と思えたものと、一応完走はしたがえ、今ほんまになんで死んだん?というモヤモヤを宥めるのが大変だったものと。
実は、ルールブックp.146に次のようなくだりがあります。
『探索者を殺すのは……死には何らかの意味があるべきである。探索者が気を失って倒れたら、即モンスターに食わせたりしないで、そこに横たわらせておくことだ。……探索者は安楽に守られた生活を送るべきではないが、彼らを気軽に殺すべきでもない。……死は自由な選択の結果としてもたらされるべきものだろう。』
(以後の引用部分において三点リーダ部分は中略、強調は筆者による)
???CoCってほんとに理不尽に死ぬものなの???って思いません?
ただ、この一節だけをもって上の「CoCは理不尽に死ぬもの」発言を否定するつもりはないんです。だってほんとにバランス理不尽なデータも処理もあるし。
それに『自由な選択の結果としての死』がもし「完全に任意の好きなタイミングで死ねる」ということならそれはもうダイス振る必要ないじゃないですか。ストーリー上の演劇的な効果でも考えながらあらかじめタイミングを決めればいい。
やはり予測できなかったり、ダイスがうっかりしたのをカバーしきれず死ぬケースは想定されてる(というか、システム上どうしても起こりうる)わけですよ。
じゃあやっぱり理不尽に死ぬことってあるんじゃないの?
なんだかCoCにおけるロストの思想を探ってみたくなってきましたね。ルールブック全体としては一体どう書かれてるんだ?
というわけで「理不尽な」という言葉をここまでふわっと使ってきてしまったので、一旦この記事内でのニュアンスを定義します。辞書的には「理にかなわない」ですがこの場合の"理"が何なのかすらよく分からないので。
自分の見る範囲で使われている「理不尽な死」をもう少し具体的に言い替えると、「なんかわけわからんままいきなり死ぬ」「出てくる敵や障害となるギミックがまず太刀打ちできないほど難しい」あたりではないかと思います。いきなり死んだら確かにえっ?となりますから、一応この「わけわからんまま=プレイヤーが事前に知ることはできない、思いがけないタイミングで」というのを「理不尽な」の具体的なニュアンスのひとつとしておきましょう。あっこれは死ぬわ、という脈絡とか納得感を与えないような流れで死ぬ、ということですね。
もうひとつは「探索者がどうにもできないような圧倒的な力によって」とでもしておきましょう。相対的戦力差ということで、敵が強いというより探索者が脆弱すぎてうっかり死ぬ、というのもこちらに含めておきます。また死ぬのは耐久力だけとは限りません(正気度なども含む)。
ただ最終的には、程度の差こそあれプレイヤーが「納得できない」と感じるもの全般が理不尽な死と呼ばれているように思います。
閑話休題。
「完全にプレイヤーの好きなタイミングで死ねるように作られているわけではない」、でも死は『自由な選択の結果として』もたらされる。この二つをどう調和させるべきか?
まずCoC6版ルールブックにおける死についていうと、プレイヤーが死も仕方ない、必然であると明らかに分かるような愚かな選択をした結果は死が待つだろう、ということになっています。
なお後述しますがこの明らかに分かるというのは目に見えた地雷を踏みに行くという意味ではありません。
探索者がいかなるタイミングで死亡するのか?について書かれているのは、先に引用したp.146『キーパーの戦略』、およびp.156~『生か死か』の部分です。より具体的な記述のある後者から引用すると、
『探索者の死は、……何らかの意味で仕方ないと思われるときまでは、起こらないほうが望ましいことである。愚かな行動や不注意な行動は、そう(=仕方ないと)思わせる1つの道である。幸運に頼りすぎるということもそうである。』p.156
この引用における()内付記は筆者による
で、どういった行動が『愚かな行動や不注意な行動』にあたるのかというのはその後段にしっかり例示されています。
『プレイヤーが探索者を失うのは次のような場合だろう。探索を急ぎすぎる、居合わせた人にちょっかいを出していじめる、証拠を無視する、ちゃんとした計画もバックアップもなしにカルティストの本部へ……』p.157
とまあ、明らかに分かりやすいプレイミスですね。慌てすぎ、NPC対応失敗、情報処理の失敗、短慮で死に急ぐ等々、その時の本人が死ぬつもりで目に見えた地雷を踏みに行っているわけではない。しかし傍から見ればプレイング上の明らかなミスがある。これは確かに仕方ないということになるでしょう。
重要なのは、これらは本人の為した不注意な行動の結果であって、まずい行動はしていないがうっかりダイスが走ってわけのわからないうちに死んだ、という想定ではないわけです。それは仕方のない死に方ではない。うっかり死にでもしそうな場合はそこらへんに転がしておけと最初の引用にもありましたね。
さらに「探索者がどうにもできないような圧倒的な力」についても、p.32『……キーパーなら、……ひどく手強い敵の場合はちゃんと前もって警告してくれるはずだ*1』等難易度の高い障害を出すにはきちんと予告などの段階を踏むことが想定されています*2。
シナリオによっては当然、神格などの圧倒的な力による死もあります。しかしそれを相応の警告もなく登場させたりはするなよ、と書かれているということです。
また、
『暴力の規模を低く抑え、……探索者があくまでも死へ向かって突き進むことにこだわった場合、誠実なキーパーはあまり無理にそれに抵抗はしないだろう。……探索者を無理に戦闘に持ち込ませるようなキーパーは、最後にはプレイヤーのやる気をなくさせてしまうものである。』p.156
つまりKPの側としてはイベントを強制的に畳み掛けて殺すようなことは推奨しない、あくまで探索者の選択として死へ突き進むことになるというビジョンが提示されています。
ここまで見た限りでも、ゲームとして目指すところである楽しいプレイのため、かなり気を遣って死のデザインに納得感を持たせようとしているのが窺えます。
しかし、です。
ここまでやっても、死を『自由な選択の結果』とまで言うには何か足りないんじゃないかと思うのです。
仕方のないプレイミスや強敵の予感があれば、それは本当に納得のいく死になるのでしょうか?
否、死が『自由な選択の結果』であるためには当然選択肢が必要になるはずですね。
この選択肢は慎重な正しいプレイか、拙速なプレイミスか、の二択ではないと思うのです。先述したように、プレイヤーはしようと思ってプレイミスをしているわけではありません。焦りからの見落としであったり逸る心を制御しきれず飛び出してしまった結果であったりがKPの視点から見てミスであったと判断されるのです。
つまり正しいプレイorプレイミスは選択肢としてプレイヤーに提示されているものではない。では楽しいプレイのため、理不尽に感じない死のためにプレイヤーに提示された選択肢とはなんなのか?
そこに入るのは「逃げるという選択肢」ではないか。
筆者がこう考えるに至った項目の中から代表的な部分をを抜粋します。
『逃げるのだ。探索者が生きていればまた戻ってくることもできる』『破局に至ってしまい、不気味な恐怖の存在が探索者一行を圧倒した場合には、逃げることが可能な者はシナリオのことは放り出して、逃げ出してしまうのがいいだろう。……探索者がもっと自信がついてうまく行動できるようになってから、また同じシナリオに挑戦してもいいのだ』p.32
『そのプレイで使命が達せられなかったとしても、またあとでチャンスがあるだろう。ゲームのポイントは使命を達成することではなく、あくまでもロールプレイにあるのである』p.30
また、プレイの例には何ヵ月もかけて怪我や狂気の治療をしたり手がかりを集めたりという場面がずいぶん多いですね。シナリオとしては途中であっても、探索者がひどいダメージを負ったら一時的に幕を引き、心や体の傷を癒したりのインターバルを設けるという選択肢があるのが見てとれます*3。
ちなみに単なる道中の無謀行動については『無計画な探索をした報いを与え、しかも狂気や死によって彼らをプレイから除外しないですませる』(p.157)ための方法を20行以上にわたって懇切丁寧に記述してあるところからそのスタンスが見て取れるのではないでしょうか。
KPからの適切な警告を受けて、あるいは危機を目の当たりにして、もし自分の探索者には無理だと思えば逃げればよい。
しかし逃げるという選択肢がある中をあえて進むから危険を理不尽だと恨まず受け入れられる。戻りたければ戻れる、安全の保障された道を捨てるからこそ進むのが自己責任となり、降りかかる死も納得できる。
というデザインなのではないか?
ルールブックには「自由な選択」の選択肢が何なのか書かれていません。なのでこれはテキスト全体からの推測になりますが、選びとった死の道を納得のいくものにできる選択肢は他に見当たらないように思います。
この「逃げる」が選択肢のひとつじゃないかと思ったのはそもそもCoC自体が正気度を減らして探索するか?やめるか?のチキチキレースが根幹となるシステムだからというのもあります。意図して相似形をもたせているのかどうかは別ですが。
ここまでの内容をまとめると、敵の強大さに相応の警告を行い、逃げ道を用意した上であえて危険を犯すという意思を見届け、その先において明らかな失敗行動の結果で死ぬ、と殺すならきちんとそのくらいのお膳立てはしろと書いてあるように読めます。
まあ警戒する暇もなく強すぎる敵が出てくればそりゃえっ?となるだろうし、最初から一切逃げ道のないところに追い込まれてどうすることもできない状況で死ねば当然すっきりしないこともあるでしょう。まとめてみればきわめて順当な内容ですね。
探索者は『謎を解き明かし事件を解決しようと努めるキャラクター』との定義はありますが、命の損得勘定ができない、どれだけ危険そうであっても死にに行くことに躊躇がないという意味ではないはずです。引き返せる状況であれば、死んで情報も抱え落ちするよりは一度探索の成果を持ち帰りまた挑戦することが結果的に事件解決のためだ、という判断も自然に考えられる範囲内でしょう。単にシナリオの冒頭から駄々をこねて依頼を受けたがらないような困ったプレイヤーの問題とはわけが違います。
さらにこれは補助的なケアの問題になりますが、死のデザインに関してもうひとつ抑えておきたいポイントがあります。
もしも探索者のとった手段が失敗であっても、神話的事象に対して勇敢に行動しようとした気持ちに結果がついてこなかっただけであって、その死には敬意が必要だということです。
『ゲームの世界では邪悪に抵抗するためにベストを尽くした探索者は、必ず尊敬を受けるということである。』p.52『 最後の運命』
『キーパーの役目は、プレイヤーのロールプレイングが報われるようにすることである。プレイヤーのこれまでの努力が正当化されるようにすることである。……死んでしまっている場合はなおさらである』p.147『シナリオの構成』
クトゥルフ神話の世界観自体にはあまり救いがありませんが、それはPCの死が報われないということではないのです。死んでその無力さを嘲笑われたりPCの努力は無駄に終わった、というようなストーリー運びは死の納得感を求めるのであればやらないほうがよいでしょう。
さてここまで読んできて判明した流れを気にかけておけば、少なくともえっなんで死んだ?と思われることはないのではないかと思います。PCは死ぬとしても十分に準備ができますし、逃げるという選択肢もあるのですから*4。
シナリオの時点ではここまで考えられていないものもあるでしょうが、KPはアレンジ*5やキーパリングの采配によってPCをきちんと納得のいく死へ送り出すことができます。もちろん、慎重な良いプレイをしたならば生還と報酬でそれを称えればよいのです。
逆に、どのような状況で納得のいかない「理不尽な死」が生まれやすいのか考えることもできます。
もしクライマックスで探索者の一部もしくは全員の死が避けられないような難易度の場合、最初から最後まで完全に逃げ道のふさがれているクローズドや、プレイングのミスが関係ないところ(必須で振らなければならない厳しいダイス判定や単なる思想クイズのようなもの)で生死を決められるシナリオは死の納得感を著しく損なう可能性が上がるでしょう。死以外の途中脱落のルートなどを考えておいた方がよいかもしれません。
死か生還かという、極端な二択のどちらかを必ず選ばせなくてはならないわけではないのです。目的を達成できず、道半ばにして多くのものを失いながら惨めに引き返すも再起からのリベンジを誓う、そういったストーリーがあってもよいのではありませんか?これはTRPG、あらかじめ用意されたエンディングへと突き進むしかない電源ゲームとは違います。選択肢は無数にあるのです。
追記:7版の記述について
こういったゲームデザイン上の思想について、6版はふわっとした例と指針が各所に散らばる形で書かれていましたが、それを読み取れず問題が起こるパターンが多かったのか、かなり明確に、システマチックに処理を指示するような形で色々な記述がアップデートされています。
死亡周りのデザインについてはp.82, 206, 210あたりにまとまった記述がありますが、試しにp.206をひいてみることにしましょう。
『キーパーは、……可能なかぎり探索者が死を回避する機会を……提供するよう努力したほうがよい。……探索者の確実な死を避けるために最大3回の機会をプレイヤーに与える』
なるほどね。6版時点だとKPが調整うっかりして一撃死でもしちゃって応急手当間に合わないとかの事故はどうしてもあるよねという感じだったんですが、潔くシステム的な救済を入れてきましたね。
この部分の小題は『公正な警告』なのでおそらく準備ができていない・探索が十分でないうちにラスボスの領域に踏み込んでしまってうっかり死!といった状況を避けるための意味合いが強いと思うのですが、どちらにしろ唐突に殺したりするなよ、このくらい危険なんだってPLに見せてから先へ進ませろよ、という思想を強調するための記述と読めると思います。
ちなみに「探索者が失敗したときそのままシステマチックに死亡処理をするのではなくKPがいい感じに救済を入れる*7」ことを可能にする記述がいろいろと強化されていて、一番は「ダイスが失敗したからといってその行動が失敗するわけではない」という点です。『キーパーが求める方へ物事が進む(目的は達成されることもあれば……(p.191)』とあるように、ダイスの失敗=KPが望むように結果を決められるのであって、例えば「回避が失敗した!攻撃が当たって死んだ!」ではなく「回避が失敗した!君はバランスを崩して床に転倒し意識を失った!」という処理ができるように、「応急手当が失敗した!探索者は死んだ!」ではなく「応急手当が失敗した!容体は安定したが肌には永久に醜い傷跡が残ることになりAPPが1D3減少した!」という処理を考えられるように懇切丁寧に書いてくれているわけです。
少なくとも、7版でダイスの女神が探索者を殺し、それをKPが「救いたかったよ~~!」と言いながらPLともども残念がるという状況はありません(死の準備を済ませた後の終盤を除く)。結果はKPが決められるのですから、探索者が死んだらそれはKPの判断です*8*9。
こういった記述の意図を読み取れずに「なるほどね、高ロスシナリオにしたいから序盤で確実に死ぬシーンを3回入れて残機使い切ってもらおう。あとは危険なダイスをガンガン振らせる」とかやる人が出てきたらまあどうしようもありませんが、少なくともあなたがKPをする時の指針として、いまいちどルールブックの記述を読み直し、死のデザインについて考えてみてください。この記事がその一助になれば幸いです。
最後に
ここまでルールブックの引用からの読み解きを通して話を組み立ててきたわけですが、引用というものはご存じのとおり恣意的に内容をねじ曲げられる可能性があります(もちろん書いている当人にねじ曲げているつもりはないですが、これを読んでいるあなたは頭から私を信用しないほうがいいです)。それに、私が今回の議論には必要ないと感じて引用しなかった部分を組み込んでこそルールの真意について正確な読み解きが成り立つかもしれません。
この記事に関してそのような類いの問題点、あるいは別の視点からの見方があると感じた人はぜひSNSなどを通して自分の意見を発信してほしいと思います。
▶関連記事
*1:システムの思想としてKPにそのようなフェアさを期待していると解釈する
*2:その他関連する記述はp.156周辺など
*3:もちろん一番に想定されているのはキャンペーンの幕間の処理でしょうが、一時的にシナリオ探索を撤退してからの再開という選択肢も同様に想定されているであろうということ
*4:余談ですが、1920s INVESTIGATOR'S COMPANIONには『遺書を書く』という項目があります。探索者が事前に危険を冒す覚悟を固めるというゲームの流れが想定されていることの傍証になるかと思います。
*5:アレンジの是非についてここで詳しく議論はしませんがまずルールブックのp.144やp.156(6版)を見てください。シナリオはKPがアレンジする前提で書かれています
*6:もちろん、相手がそのような死を喜ぶことを知っているのであればその嗜好に応じてこのような演出をとることは問題ないでしょう
*7:救済を入れるだけに限らず、KPを単にシナリオを読み上げてダイスを振らせる機械にしてしまわないための、探索者たちのためのストーリーを柔軟にアレンジする役職とするためのKPの権能の強化
*8:むろん、死の局面に至るまでにはPLのプレイングが重要なのですから責任がKPだけにあるというわけではありません
*9:6版でもプレイの例の囲みを見ていると7版で想定されているような救済と同様KPが柔軟に処理をしている場面はあるのですが、きちんと明文化しなければならないと判断したのでしょう