一畳ちょっとの二人部屋

一畳ちょっとの二人部屋

創作や趣味のゲームの話

【小説】クリスマスにも殺人事件から逃れられなかった探偵たち

B!
LINE

クリスマスにも殺人事件から逃れられなかった探偵たち

 というか、クリスマスだからこそ逃れられなかったというべきだろうか。
……エルキュール・ポアロは椅子の背にもたれて、指の先を組み合わせた。そして、考えぶかい眼でじっと相手を見つめた。
  彼は小声で言った。「すると、きみの意見では、クリスマス・タイムは犯罪には縁のない季節だというんですね?」
  「そうだよ」
  「なぜ?」

アガサ・クリスティー, 村上 啓夫『ポアロのクリスマス早川書房

 
 正月、盆、バレンタインデー、クリスマス。現実の人間にとって特別な日は小説の題材としても特別で、当然探偵小説もその軛から逃れることはできない。ここでは有名な古典ミステリの中から、クリスマスを舞台にした作品を紹介しよう。
 

青い紅玉

 まずはご存知シャーロック・ホームズの短編、「青い紅玉」から始めよう。
……こいつをひしゃげた帽子ではなく、知的な問題として考えてみたまえ。まずは、どのようにここへやってきたかだ。たどり着いたのはクリスマスの朝のことで、まるまると太った鵞鳥が一緒だった。
 
 物語は12月27日の朝に始まる。発端は、クリスマスの朝にやってきた落とし物のガチョウ。このガチョウからホームズは時を遡り、とある事件との関連を暴きだす。ワトソン博士を前に繰り広げる怒涛の演繹的推理からガチョウの出元をめぐって冬のロンドンを駆ける追跡劇まで、小編ながら探偵物としてのうまみがぎゅっと詰まった作品だ。
 
 自分でも素朴なものだと思うが、私はホームズの最後の台詞が心の底から好きで、クリスマスになるとどうしても読みたくなってしまう。ホームズは決して無神論者ではなく、キリスト教的慈愛に満ちた信念を垣間見せるシーンも多い。彼の『バランスのとれた精神』にあって、キリスト教はその基層を構成する重要な要素のひとつなのだ。
 
ミステリ史上最大にして最高の名探偵シャーロック・ホームズの推理と活躍を、忠実なる助手ワトスンが綴るシリーズ第1短編集。 アーサー・コナン・ドイル (著), 深町 眞理子 (翻訳)東京創元社 (2010/2/19)
 
 さて、ホームズのクリスマス譚が始まった12月27日、ポワロはフィナーレとなる推理ショーの真っ最中である(厳密には、両者の間には40年以上の開きがあるのだが)。

ポアロのクリスマス

 こうまで直接的にその名を冠されては逃げようもない、堂々たるクリスマス殺人譚だ。
……こうして、 クリスマスの期間にはたくさんの偽善が―― なるほど、それはよき動機か くわだてられた偽善、尊敬すべき偽善かもしれないが――とにかく多くの偽善が行なわれるものです
アガサ・クリスティー, 村上 啓夫. ポアロのクリスマス 早川書房
 
 ただ、いかにもクリスティー的な──実際にクリスティー的かはともかく、イメージとして──イギリスの田舎の屋敷に訳ありの一族という場面だてが強すぎて、クリスマスらしい空気という点では少々弱いように思われる。一族の集められる口実がたまたまクリスマスだったというところ。
 しかしミステリとしては天晴れな佳品で、私の好きな別のクリスティー作品を思い出させる。(念のため、オチ被りに不満はなく、まったくの違う作品で同じオチを魅せる手腕が良い。)
 
聖夜に惨劇が! 一族が再会した富豪の屋敷で、偏屈な老当主リーの死体が発見される。 アガサ・クリスティー(著), 村上 啓夫 (著, 翻訳) 早川書房 (2003/11/10)
 

クリスマス・プディングの冒険

……銀盆の上には、クリスマス・プディングが、その偉容を輝かせておさまっていた。大きなフット・ボールのような形をしたプディングで、ヒイラギが一枝、優勝旗のようにその上にさしてあり、青と赤の輝かしい炎がそのまわりから舞いあがっていた。「おおっ」という歓呼の声が起きた。
 
 ポワロのクリスマス譚からもう一篇。盗まれたロイヤル・ジュエリーの捜索を依頼されたポワロは、英国の古風なクリスマスを楽しみたがっている外国人という触れ込みでとあるカントリーハウスへ潜入することになる。
 この物語では、伝統にこだわる頑固な年長者、伝統に反発する若者、伝統にはしゃぐ子供たちなど「英国の伝統的なクリスマス」を軸にストーリーが展開される。絶妙な人間模様を孕みながらも明るく茶目っ気に満ちた短編で、英国のクリスマス風俗にまつわる描写を楽しみたい向きには一押しの作品だ。
 
英国の楽しい古風なクリスマス。そんな時でもポアロは推理にあけくれていた。アガサ・クリスティー(著), 橋本 福夫 (著), 橋本 福夫・他 (翻訳)
 
 盗まれた宝石つながりで、最後にこちらを紹介しよう。

飛ぶ星

 さて、ぼくの最後の犯罪はクリスマスの犯罪だった――つまり、陽気でこぢんまりした 英国中流階級的な犯罪、チャールズ・ディケンズ風の犯罪だった。
G・K・チェスタトン, 中村保男『ブラウン神父の童心』 東京創元社
 
 ブラウン神父シリーズの重要なライバル、怪盗フランボウ最後の犯罪物語である。
 ブラウン神父が招待されたとある中流良家の屋敷では、伝統的なクリスマスの余興としてパントマイム(無言劇)が催されようとしていた。一方で、一人娘であるルビー嬢の名付け親は、あまりにも頻繁に盗難にあうことからその名がついたダイヤモンド『飛ぶ星』を彼女へのクリスマスプレゼントに持参していた。さてこの宝石がフランボウによりいかにして盗み出されるのか……というより、彼がその盗みをいかに演出したかという芸術的側面に焦点が当たっている。
 
……これでも芸術家のはしくれであるぼくは、いつも、そのときどきときどきの季節や特定の土地柄にふさわしい犯罪を提供しようと心がけていたので、ちょうど群像の背景を選ぶような具合に、大事件にふさわしいテラスや庭をあれこれと選んだものだ。
同上
 ……と彼自身が述べるように背景の舞台だてが非常に美しく、作中のメインイベントであるパントマイム(滑稽劇)とあいまって、素朴な祝祭の雰囲気をよく伝えている。イタリアのコメディア・デラルテを起源とするパントマイムは、イギリスにおいてはクリスマスの大衆的な出し物だ。現代ではシンデレラのような普通のおとぎ話が演目になるようだが、ここではハーレクイン、パンタルーン、コロンビーナといった昔ながらの役で行う即興無言劇の様子を見られるのが興味深い。
 クリスマスの夜の煌めきの中で虚実入り交じる犯罪シーンは、同作者による幻想小説木曜日だった男』に通じるものを感じる。
 
 ラストでブラウン神父がフランボウを諭す言葉は論旨明快でありながら含蓄に満ち、説諭というにふさわしい、心に沁みる響きをもっている。四角四面な理屈っぽさときわめて詩的な感性が同居するチェスタトンの魅力がよく表れているといえるだろう。
 
奇想天外なトリック、独特の逆説と警句 ミステリ史上に燦然と輝く名シリーズ第1弾! G・K・チェスタトン (著), 中村 保男 (翻訳) 東京創元社 (2017/1/12)
 
 なお、コメディアデラルテの様子はポワロの短篇である『戦勝記念舞踏会事件(早川書房『教会で死んだ男』収録)』でも読むことができる。BBCドラマ版(29話『戦勝舞踏会事件』)の映像では華麗な衣装をたっぷり見ることができるのでおすすめ(たまにGyaoで無料配信がある)。
 

おわりに

 選んでみると半分くらいは殺人事件ではなかったわけだがそれはさておき。
 ここで紹介したものは『ポワロのクリスマス』以外短編であり、電子書籍やネット、紙媒体で気軽に読むことができる。
 また、今年は早川書房からその名も『クリスマスの殺人』というアガサ・クリスティーのクリスマス作品を集めたアンソロジーが刊行された。ミス・マープルやトニー&タペンスなどここで紹介した以外の作品も多数収録されているので、気になる方は手にとってみてはいかがだろうか。
 
ミステリの女王アガサ・クリスティーの短篇から、冬をテーマにした作品を収録した傑作選。アガサ クリスティー (著), 深町 眞理子 (翻訳) 早川書房 (2021/11/19)

 

 それでは、メリー・クリスマス!

 


ホームズとキリスト教についての関連リンク